殉教文化の実際

『江戸の大殉教』

 フーベルト・チースリク 1626 キリシタン研究



囚人が入れられていた所は実際は豚小屋のようなものであった。
衛生設備などというものは無論大してなかった。
ディエゴ・サン・フランチスコは自らこの目撃者としてこの牢の様子を報じている。


 「我々は四つの牢屋−というよりは四つに仕切られた一つの牢屋−のある場所へつれていかれた。
この牢屋の隣に豚小屋(Jaura)のような小屋があり、そこの板仕切りは全然光が差し込まないように接ぎ合わせてあった。
この牢屋には食事を差し入れるための口が一つあいているにすぎなかった。けれどもそれは、小さな皿一枚がやっと通るくらいであった。
光は殆ど差し込んでこなかったから、殆ど互いに顔もわからなかった。

・・・略・・・



この牢はもっと大きな牢屋の中に囲まれていた。
我々は牢に入れられる前にまた着物を脱がされ、人々は我々から取り上げる物はないかと調べた。我々が頸にかけていたロザリオまでも取り上げられたが、私だけは番人の頭がそれを離せと命ずるまで。力いっぱい手に握っていたので、取り上げられなかった。
番人が我々を、無理やりに押し込んだほど小さな入り口から、我々は牢屋の中へ入れられた。
そこにはもう百五十三人も囚人がいて、皆殆ど座る場所もないくらいだった。
新しく仲間入りした者には、悪い場所があてがわれた。
併し、囚人の中にいたあるキリシタン侍の指図で、ぱあでれには最良の場所が与えたが、そことても長さ六十センチ幅三十センチそこそこにすぎなかった。



・・・略・・・

囚人たちは小さな下帯一本のほかは何も着物を纏っていなかった。


・・・


ぱあでれは1年半の間髪も刈らず爪も切らなかった。
囚人が自殺をしたり、或いは他人を殺したりするといけないからというので、牢内には何も持ち込むことを許されなかったからである。
また牢内の者が自殺してこの怖ろしい苦しみを終わらせるために使えるような毒でも入っているといけないというので、薬も一切牢内に入れることを許されなかった。
こんなに大勢の人が小さな場所に鮨詰めになっていたので冬でも寒さを感じなかった。
蚤や風のたぐいは無数にいた。

明かり不足のためにそれを殺すことができなかったので、おそろしく増えていったからである。
何しろ牢内には身動きもできないでいながらに用を足しているような病人が大勢居て、誰もそこを掃除しなかったから、悪臭は強くて耐えられなかった。
病人の隣りの者は悪臭だけではなく、その不潔物のために苦しまなければならなかった。
時には自暴自棄になって病人の頭を厚板にぶつけて殺したり、また他人を殺すことができないと、自殺したりした。
時には、三十人以上の者が食物を得られずに餓死した。
それは、彼等が病気のために身動きできなかったので、他の人たちが食物を奪ってしまったからであった。
「てめえ共、用をたしにいくこともできねえ様な奴は食わねえほうがいい」
と、隣近所の者たちから言われて病人はそうしたのである。

多数の者が死んでいったが、後から後から新しい囚人を投げ込んでくるので、総数には変わりなかった。
乾きもまた耐えられなかった。何しろ1日に2回少量の水を貰うにすぎなかったが、暑さのためにそれはまた汗に出てしまったので、渇きのために多くの囚人が死んでいった。

喧嘩や騒動が起こると、番人どもは牢屋の上に登って、上から汚穢或いはこれに類するものをかけた。
これで囚人たちは見分けもつかないまでに穢らわしく汚された。
囚人たちが番人を口汚く罵ると、番人は憤然として幾日も水を与えないので、皆は物凄く乾きに苦しんだ


最も辛抱しきれないのは死骸であった。牢屋の番人の許可がなければ、死骸を牢の外へ取り片づけることができなかったからである。
この許可がなかなか与えられなかったことも度々あったので、時には死骸が7日も8日もそのままになっていることがあった。
ひどい暑さのために、死骸は7時間後にはもう腐爛し初めて、その悪臭は恐るべきものであった。

ぱあでれたちは処刑を待っているこの期間を、ただ自分たちが殉教に対する準備に利用しただけではなく、同囚の人々の間で使徒的な活動をして、大勢の人たちをキリシタンの信仰に改宗させることができた。


・・・略


遂にその日は十月十三日ときまった。
この日については、日本側の資料もヨーロッパ側の資料も一致している。
その当時、いつものように日本の各地から集まっていた大勢の大名たちが江戸に滞在していた。
今度のこの大勢の処刑は外ならぬこの大名たちに深い感銘を与えようという意図であった。
おそらく、これもその理由となって、1615年の時のように浅草の刑場でこの処刑を行わずに、この国で最も人通りの多い主要な街道である東海道に面し、市の門の直前、背後には樹木鬱蒼とした小高い丘を控えた広場、海の眺め美しく行楽の地として好まれた場所で行ったのであろう。
予期のとおり、そこには無数の見物人が集り、その中にはこの惨酷な光景に立会うために大勢の貴族や侍もいた。
従って、この殉教がおそらく日本の歴史の中で最も広く人に知られている殉教の一つとなり、きわめて多数の年報類に記されているのも怪しむに足りない。
それにも拘わらず、日本の資料は全く簡単で概略的にしか記していない


・・・略


原主水は火焔が特に猛威を逞しく枯れに襲いかかった時、特別に大切な物を抱きかかえるように焔の周りに腕を廻したのは、
一際目をひき、大きな勇気を示すしるしであった。彼は終始身動きもしないで立っていたが、遂に柱とともに前方に倒れ、手足を伸ばして大地に横たわったままであった。

・・・(フランチェスコ 略)

恥ずべき悲劇はこうして終わった。
人々がどんなさまざまな気持ちを抱いてこの血腥い光景から立ち去っていったかは書き記し難い。」







この日本人殉教には、女子どもも含まれ
さらに、
人柱であれば、
それを謀った日本人も居た。

恥ずべき悲劇

宗教紛争。
内紛。





注例

☆映画『生きてこそ』

「人肉をたべる」ことについて賛否が分かれやすいものの、
「食べずに生き残った二人もいた」ことは、
意外とうやむやにされている。

人間は雑食なので、
肉を2ヶ月食べなくても普通は死なない。




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(※ 大意抜粋)

<諸国籍諸人種諸宗教 合同グループより>



プロテスタント バプテスト派 リーダー

「バプテスト派っていうのは、
自覚して洗礼するという意味で。
基本的に成人洗礼だけを認めている。」



カトリック信者:幼児洗礼

「!!! 取って喰われるかと思いました!」




バプテスト リーダー

「大丈夫。
自分の神学だけしか認めない人はここには来ないから。」




カトリック信者
「・・・・(確かに!カッコイイ)」




他派 プロテスタント リーダー

カトリックのこと勉強しなきゃ」

カトリックでも目に見える行動でも様々な派があり。)





散会の言葉 

「次のテーマは「神とは何か」で。」





カトリック信者

「今日は驚いた。」


イタリアカトリック信者

「大丈夫。
その(話したり勉強したり訳す)くらいなら。(笑)」



侵略・戦争の歴史を持つ大陸は大きい。









洗礼は昔、
全身を水に沈めた。

やり方を間違えるとただの殉教迫害者、
現代であれば殺人罪
名誉毀損罪や損害賠償対象や
ボブさんのような営業妨害に。

日本や東京近辺の男女を問わない
ボケーションパニック(召命騒動)では、
足の引っ張り合いがある。

また、「競争だよ」(司祭)との名言も。

巻き込まれたら大変なことに。



見習い志願者「(仕方ないから)修道院のこと、教えてあげる。」
(小学生の会話ではない)

あるいは、
聖職者でございます?
という空気になっても致し方なく、

修道者って何?

と聞かれてしまうことも。




修道者 (シスター版) :

宣教 ・ 奉仕
(誰に奉仕?と聞かないこと)




召命 :

命を召し(差し)出す 






何のために命を差し出すかは
文化や国によっても違う。
(仕事か、国か、家庭か、宗教か。)

政治的理由以外にも、
国によっては障害者を人柱にする場合もあるとか。

(会社は諸々の利益優先)


しかし現代では。


http://d.hatena.ne.jp/rogervanzila/20080904




「司祭って何?」

というお坊さんの問いへのお答え。



「聖人にならなくていい・・・・。」
という日本人カトリック成人男性が居るのも頷ける。





「殉教しなくてもお弁当を心を込めて作ればいい。」
母の愛。


おなべの中にも・・・
→カルメルでお知りになれます。



「若い頃の名誉心で・・・」という司祭もあり。
(もっとも、今、たいへん心打たれる司祭)



とはいえ 競争では
自他の天国はおろか・・・・・・・・・・。




この殉教史実には、
TVドラマのフィクションではなく、
実際に
同族同人種で 子孫があり。





史実に触れることのできる
聖人 列福式典は11月に長崎開催。






殉教 :

「無抵抗のうちに、
キリスト教の教えと徳のゆえに死ぬこと」

(17Cキリシタンのマルチリオの勧め)

「血の洗礼」

  〜 列福をひかえ、ともに祈る7週間 (参照



同種同宗教内でするのは 唯の「共食い」。
(殉教との論理のすり替え)
簡単に人を殺せるのは、人間的な疑問。


古くから在る問い


赤か、白か。


ただし、人が人に迫るのではなく。



当時、「命を賭してまで信じた」ものと、

それを取り囲む人びと。




「隣人を愛しましょう。」





洗礼はキリストと共に歩み、生きる(?)クリスチャンになるための儀式、秘跡

(「死んだ」クリスチャン?? : 他人を自分の物差しで計ることにはご注意を。)