個人の人生とカウンセリングと文化人類フィールドワーク

国や家族それぞれに文化があるように、
修道会にもそれぞれの文化があり。

「○○会って、どんな会?」は
「○○家は○○の家」という答えと対応。

日本の多文化共生の現状では、
聞かれた場合には、
客観的に知っている限り、
または知っている事実や歴史を
答えてあげるのが親切な場合が多い。



(但し、「信じたい」「信じるものが救われる」という
宗教心理・構造との関係や、
「信じさせてあげる」という構造との関係には要注意)



キリスト教には、

真善美/信望愛 などの格言(核言?)があり。
並列と考える人も居れば、
時系列的発展と考える人もあれば、
信仰・希望より、「『愛』が全てに勝る」ということばもあり。



この中で、

「善か悪か なんだね。」

という発言に出会った時、


広くは同じ系列に含まれる分野ではあり、
カウンセリングと文化人類学フィールドワーク
の違いは、


カウンセリング :

「発言者の判断基準や行動の基準」を垣間見、


文化人類学調査者 :

「善と悪という基準を持つ集団に属する」と集団の文化を見る。

金銭の多寡、
精神的充足、
名誉、
など基準は様々にあり。




カウンセリングは、カウンセラーさんにもよるようですが、
「成長促進の援助」という方向で行なわれる時、
スムーズにいく場合、基本的には
あまり積極的にその基準のジャッジはしない。
多くはラポール形成がカウンセリングを促進するため。
当然、身分を明かさないということは考えにくい。

「医者と言わないで話を聞いてやればいい。」
というのは井戸端会議。


(まれに、リスキーな、
意図的刺激を加えて変化を見るというカウンセラーや調査研究者あり)


文化人類学調査では、
「うん、そうなんだ。」が基本となり、
肯定も否定もしない。
調査のための良好な関係は必要とされるが、あくまで調査。






宗教を問わず、
強い信念の元に宗教を信じる人々の中で、
時にしばしば不思議な事は、

人から人への福音宣教との混同で、

ある人とある人の人生の間に
無理に関連付けをして、

「ある人生を崇拝する時、
その人生を他人にも勧めてしまう」

こと。

(やりすぎは新興宗教と呼ばれる)


他人の人生に及ぼす被害・影響の重さには
要注意。



参考
『神のシークレット』 ヘンリー・クラウド 著
The Secret Thing of God

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哲学と精神分析の、
第一歩目の違いは、
自分もその中(概念体系≠気持ち)に入って考えるか、
自分をそれと全く切り離して
考えていくかの方の違い」



※ 共感的態度や同情などの
  表面上の事柄とは別