Dancing神父

〜2000年のROGER!〜 


DANCING神父


※ DANCING:人々との関係の活きた在り方についての筆者のイメージ



 私はアメリカのコンゴから参りました。

 1986年に会に入りました。

 1999年の9月1日に日本に来ました。
日本語が全然分りませんでした。
日本に来て、日本語の勉強を始めたのは、
日本のカトリック教会で仕事をしなければならないからです。
今でもう1年半ぐらいになります。
少しずつ日本の生活にもなれ、経験も積んだと感じています。


 2000年1月1日に会の友達とともに大きなパーティーをしたので、
うれしくて飛び上がりました。
しかし、その日は楽しかったのですが、私はむしろホームステイの方がよい経験だと思いました。
このホームステイは経験した人でないと分かりません。
本当にホームステイ中私は「2000年(ミレニアム)の窓」を開けました。
それは生まれて初めて日本人と知り合いになったことです。
いい経験になりました。


 私がホームステイで「何をしたのですか」と「どうしてそれらの経験を忘れられないのですか」と聞かれたら、
その説明はこうです。
まず、お母さんとお父さんが私に「そんなに改まらないで楽にして下さい」と言いました。
そして私はホストファミリーに次第に同化しました。
これらの経験で得たことがよく分かったので、その特殊な経験について何を意味するのか私は考えました。
このようなホームステイは私と日本人との関係を深いものにするための一番いい方法であり、
そればかりかその為にホストファミリーが自分の日常生活を与えたことに気がつきました。


 また、ホームステイの半ばで私は大切なことに気がつきました。
それは、私にその望みを叶えることや困難を与えることではなく、
神様が司祭職への召し出しの意味を明らかにしたことです。
そのことは私にとって、日本での宣教師活動(ダンシング神父)の足がかりになるらしい。
ですから少しずつ日本語は、特に私の「日本のドア」になったことが分かりました。


 そして日本語は私とホストファミリーの全員の間で、毎日団結の手段にもなりました。
そこでコンゴ人だということとカトリック神父ということを私は区別しました。
そして生活を共にするホストファミリーの一員として彼らのありのままの姿、
彼らが信じていることも私は尊重しました。
そのうちホストファミリーへの挑戦にも応じるべきだと感じました。
それらは私がホストファミリーの中で
「ダンシング神父になるべきだ」という任務へのチャレンジだと気がつきました。
それらのチャレンジについて3つの大切な理由がありました。
第1に、ホストファミリーの信仰生活を支えるべきだということです。
第2に皆と一緒に特別のスタイル(生活様式)のことを分担できるということが大切だと思われました。
第3に、『ダンシング神父』になれば、
ホストファミリーと心が一つになるのではないだろうかということでした。


 どうして『ダンシング』のことを思いついたのでしょうか。
まず、ホームステイの間あのダンスは皆とともに毎日したのではなく、
ホストファミリーとの色々な分かち合いの後でしました。
また、皆にいろいろなコンゴのことや私の司祭への召し出しのことを話すのではなく、
会のことを伝えました。
そのようなことも「ダンス」のイメージと考えました。
そして、パーティの時「ダンシング フロル」を私が踊り始めたら、
皆も「ダンス」うまくできました。
それは私の国の伝統文化の中でダンスが持つ価値という特徴によるものらしいです。


 それにホストファミリーは私にいろいろな日本のことや日本語を教えてくれました。
その当初に、ホストファミリーも私と共に「ダンス」ということが分かりました。
その経験をしたので、自分自身では最初の一歩を踏み出すことができたと思いました。
なぜなら具体的には、あいづちを上手にうつと会話がはずむばかりか、
新しい言葉を取り入れて私の日本語を豊かにできると感じたからです。


 また私は日本に住んでみて改めて自分の国のよさを感じました。
ホームステイでの経験はとても楽しかったと思います。
日本のあちらこちらにきれいな花がさいているのに気がつきました。
それらは多くの人の世話のおかげでしょうか。ホームステイで私もそのような世話を体験しました。
その経験から少しずつ日本のファミリーと関わり方を知りました。
これは共同生活を試みていることによるものです。
初め日本語や日本を少ししか知らないと考えていましたが、
ホストファミリーは私にいろいろな日本のことを教えてくれたり、
そのつど私に「ご成功を祈ります」とか「がんばって」といってくれました。
それが私はうれしかった、その一つのことはよく分かります。
そのつどホストファミリーの一員と関わることが、
良いホームステイを造るという事実です。
ですから日本におけるいろいろな宗教とカトリック教会の間で、
「ダンシング神父」もだんだん体で経験できるようになると思います。
つまり、私が想像すると、
宣教師として神様のために、
文化の多様性は信仰の妨げにならないという証しをするという任務だと思われました。


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コンゴの人々は、実際にその中に混じってみて、
リズム感と音への感覚が柔軟なのだと感じました。
日本の盆おどりやマスゲームとは、また違うようです。

あるフランス人司祭によれば、その使命は、
「(神的)愛の証し」という役務なのだそうです。

※ 本格的ダンスは、「怪我」にご注意ください。


                 代筆 AS