「隠れキリシタン」 知られていないマイノリティのカニバリズム

意外と知られていないマイノリティのカニバリズム


http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0208/genbaku/rensai/dansou/02.html

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0208/genbaku/rensai/dansou/01.html


「 ■異教徒差別

 原爆文学の記念碑的作品である井上光晴の「地の群れ」は、こうした差別の多層性に迫ったものである。
井上はこの作品に被爆者、部落民在日朝鮮人を登場させ、差別される者が互いを差別し合う日本社会のメンタリティを描き出した。
 原爆の対日投下に関する米国の「暫定委員会」資料によれば、もともと長崎市への投下目標は浦上ではなく、人口が密集した市街―眼鏡橋が架かる中島川付近だった。
それが、一瞬の天候条件によって浦上上空で炸裂したのだった。
 これを一部の市民は「市街に落ちなかったのは、お諏訪さん(秋の大祭「くんち」で知られる諏訪神社)が守ってくれたおかげ」と言ってはばからなかった。
そして「浦上に落ちたのは、お諏訪さんに参らなかった“耶蘇”への天罰」との悪罵(あくば)を浴びせた。
それは長いキリシタン迫害の歴史のなかで醸成された長崎の一般民衆の異教徒への信仰差別が吐かせたものであった。
 この状況は、井上の「地の群れ」が投げかけるテーマにも深いところでつながるのである。
つまり、平時は「心優しき善人」が、非日常の極限状況に遭遇した途端、「悪魔の化身」のような差別性を剥(む)き出しにするという点で…。 」


「■死の同心円

 一九四五(昭和二十)年八月九日、米国は長崎に原爆を投下した。
炸裂(さくれつ)した浦上地区松山町の上空五百メートルから広がった「死の同心円」の中には、さまざまの生活者がいた。
 信仰の側面でとらえれば、浦上には一万二千人のカトリック信徒が暮らし、八千五百人が命を奪われた。
一方、南約一キロには、被差別部落民千三百人が住んでいた。ここでは二百三十戸が全て焼け落ち、四百三十人が亡くなった。
 浦上の信徒と部落民は敵対の歴史を刻んできた。
禁教令以後、部落民キリシタン監視の役割を担わされ、幕末の「浦上四番崩れ」では信徒弾圧の先頭に立つ。
 ともに差別される側にいながら、相手を敵視し、憎み合う。
そうした状況を原爆はさらに悲劇的なものにした。被爆者はだれもが少なからぬ差別を受けたが、信徒と部落民は過去の差別に被爆者という新たなスティグマ(焼き印)が加重されたのである
。 」



http://d.hatena.ne.jp/rogervanzila/20080824


原爆遺産の歴史


http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0208/genbaku/rensai/dansou/02.html


アジア風の都内カトリック教会では、

「分かち合い」と称した
「共食い(友食いではない)」状態がまれにあり。


「自分の利益のために動くのが人間よ。」

多摩地区の中堅の常識的信者さん。

「みんなやってるよ」

都内の社長さん。